神戸の街はすっかりクリスマス。2014年ももうすぐ終わりに近づいてきましたね。
そんな2014年も終わりになる12月から、私の留学体験談をつづっていく事となりました、小林範行です。
凄く固い感じになってしまいましたが。
ここはブログという事で、
気軽に私の留学体験をつづっていこうと思いますd(^^*)
私が留学をしたのが2009年8月。渡航時の年齢は25歳。
そうなんです!退職して留学・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ
すっごい決断でしたよ。
今までのキャリアを捨てて、やり直すわけですから。
ではなぜそこまでして留学を決断したのか、何が私をここまで動かしたのか。
それを今日はお話していこうと思いますo(*⌒―⌒*)o
【のりゆきの留学体験記 其の一】
22歳の時に私の地元である、千葉県にある企業に就職した私。もちろん右も左も分からない22歳、社会人1年生の私。
そんな私にいきなり大チャンス!!!
入社1年目にしてなんとアメリカ出張っヾ( ̄∇ ̄=ノ
とても運が良く、大きなプロジェクトチームに参加させていただくことになり、まずはアメリカはボストンへ♪
私の初海外。
今考えれば凄いVIP待遇で、なんと通訳付き。仕事はもちろん、毎日毎日ウキウキが隠せない出張でした。笑
その後、私を待っていたのは長期での中国出張。もはや出張ではなく、「駐在」レベル∑(=゚ω゚=;)笑
しかし、ここでの滞在が私の人生を大きく変えました。
アメリカ出張でも、この中国出張でも基本的に通訳者がチーム内にいたので、仕事上でのコミュニケーションは全く問題ありませんでした。でも、決して専属の通訳者が私についているわけではありません。会議をするにしても、現場でコミュニケーションを取るにしても、通訳の手配をまず初めにしなければいけない日々。
仕事が進まない(*□*)
ちなみに私が担当していたメーカーさんの一つに、アメリカの企業がありました。
工場内の共通言語ですが、お客さんは中国人、中間にいる私たちは日本人なので、中国語と日本語。
と思いきや、中国語と英語(||゚Д゚)
英語、恐るべし…。
最初の一時帰国で、良い辞書買いましたよ。笑
通訳の日程を調整しながら仕事を進めていく私。
そんな時、ある落ち込む事件が私を襲います。
先ほどもお伝えした通り、中国人のお客さんとアメリカのメーカーの間に立って、工場の立ち上げを行っていた私。
注)英語が話せない私。
いつの間にか、お客さんがメーカーさんと直接話を進めているっ工工エエエエェェェェェヽ(゚Д゚;)ノ゙ェェェェエエエエ工工
・・・。
ミーティングもいつの間にか司会進行と議事係になってしまっていた私。
恥ずかしい。間に立っている意味が全くない。今すぐ英語を話せるようになりたい。
今まで全く勉強をしていなかった自分を恥じました。お客さんの中国人の方々は、生き抜くために必死。勉強も私なんかよりたくさんしているでしょうし、そのハングリー精神に危機感を覚えました。当時の私は、能力があるから良い給料をもらっているわけではなく、日本人だというだけで他の国の人よりも良い給料をもらっていることに気がつきました。
ヤバイ・・・。このまま年を取るだけではまずい・・・。将来、役職についた時には、外国人の新入社員も増えるだろう。新入社員は英語を話せて当たり前になっているかもしれない・・・。その時に私は・・・?
そんな不安を抱えている時に、日本語を母国語とし、英語と中国語を流暢に話せる通訳の方がこんなことを私に言いました。
「もう通訳だけでは食べていけなくなるだろう。」
マジっすか!!!???2ヶ国語話せるのに!!!???(;゜0゜)
日本語だけしか話せない私にとっては衝撃でしかありませんでした。先輩も察していたのかもしれません、英語が話せて当たり前の時はそう遠くないと。
そこで閃いた私っ!!!「〇〇ができる、〇〇を目指そう!!」o(*⌒―⌒*)o
考えて考えて考えて考えた末、「英語ができる、〇〇を目指そう!!」。
これが私の留学を決めたきっかけになりました。
25歳という年齢だけど、今まで勉強をしてこなかった分、取り返そう。
そして、私の留学の目的はもう一つありました。それは、「英語ができる、〇〇を目指そう!!」の後半の部分を見つける事でした。
感謝される仕事が好きだと気がついた私。
たくさんの人と出会い、人生を聞き、何を目指すのかを見つめ直す。
これが、私の留学のテーマとなり、会社を退職して一人カナダへ飛び立ちましたv(@∀@)v
ここから5年ものカナダ生活になるとはその時は思いもせず・・・。
次回の私の体験談は、「ついにカナダに上陸!」についてつづっていこうと思います♪
トラブル続きだけれども、貴重な経験となった私の留学。楽しみにしていてくださいね!
初めての海外、ボストンへ行った時の懐かしい写真たち( ̄▽ ̄)ノ
休みの日にダウンタウンにくりだした時。北米の東海岸では当たり前のこんな光景も、当時の私にとっては全てが新鮮。とても貴重な経験でした♪